初出張と食中毒
2010年 04月 22日
子供のシリア国内体操競技会に Latakiaへ行ってきた✪
Latakiaはシリアで唯一開放的な場所
ここへ バケーションを取りに 国内中からお金持ちが集まり そしてHotelのPrivate Beachなどで優雅な時間を過ごす場所
私はそんな夢のようなことを抱いていたが 現地は全くと言っていいほど びっくりな環境だった
私が泊まったのは 一般人は入れない 「軍の施設」
そう 周りには兵隊さんや 国で管轄されている関係者の家族などの団体しかいない
私はその中で 体操協会の団体に所属という位置づけで 泊まらせてもらえることになった
もちろん 宿泊から 食事 交通費に至るまで すべて体操協会持ち
無論 個人行動は許されない
まず 初日
いつもの子供たちへの指導を終え いったんウチに帰る
急いで用意し 今度はちゃんと器具のある体育館へ
そこで一番初めに 体操協会へ表敬訪問へ行った際にお会いした人々に再会した
正直ほとんどの方の名前は忘れていたが 一人だけ 私のカウンターパートという名の同僚になる予定だった女性は忘れていなかった
「Hi! Yummy!」と呼んでくれたので 私もとっさに「Saffa?!」と
すると 「Yes!!! It’s me!」と言ってくれた
これから2日間は 彼女と一緒だ
彼女は Safaaサッファア
さて 夕方になり ちょっと日が傾いたこと 選手の練習が終わった
それからバスに乗り込むのだが そこでびっくりが待ち構えていた
私たちJICAとほぼ同じ位置にある韓国のKOICAのバスで移動となった
なぜ韓国人ボランティアがいないのにKOICAのバスはあるのだろう???
バスはミニバスで 大体15人ほどが乗り込んだ
バスの中は 見事ゲーム会場となり いつも眉間にしわを寄せている先生が そこではカードゲームに大盛り上がり
負けるたびに「Yummy~~~!!! Help !!!」となんだかただの子供じゃないか?!と思う一面
なかなかうるさいが かわいい人たちだった
隣の席にはでっかいおじさん?お兄さん?が座った
はじめから質問攻めだったので ちょっと意地悪な答え方をしてみたり・・・
でも悪い人じゃなさそうだった
彼は英語を話せ 通訳もしてくれた
だから ちょっと心を開いて 長くなる旅を楽しもうと 途中から切り替えたのだが・・・
とにかくおっさん先生たちが うるさくってうるさくって。。。
その隣の人は 80年代にナショナルチームのメンバーで 私の名前を叫ぶ先生と一緒にソビエトまで遠征に行ったそうだ
まぁソビエトだった時って言うくらいだから 自分より十数年は年上の方
おじさんとも お兄さんとも言い難い・・・
Anyway 今では体操でそんなにすごい選手だったなど 見る影もなく大きくなっているが
今は ダマスカス空港で 飛行機の整備士をしているようだ
なかなかのお坊ちゃんみたいだ
この世界では いやどこの中進国・途上国もそうだと思うが 「蛙の子は蛙」だと本当に思うことが多い
もし私がこの国で生まれていたら 今頃ひょっとしたら若いおばあちゃんだったかもしれない年齢だ
先日会ったお母さん 私と同じ歳だった そしてもうすでにおばあちゃん
自分の娘が16歳で子供を産んでいて はやばやと孫まで授かっている
私は 日本に生まれ 好きなことができる「選べる人生」を授かった
しかし それは本当に幸せなことなのだろうかと 今は逆に思う
昔は日本人ほどいい人種はいないのではないかと思っていたが 今はそうは思わなくなったのは なぜだろうか・・・
バスの中は本当にいろいろな話もあり そしていろんな匂いもあった
お菓子を食べる人 バスに持ち込んであったポットの甘ぁい紅茶や カルダモン入りの苦ぁいコーヒーを飲む人 煙草を吸う人 etc 日本じゃ絶対吐く人がいるなと思いながら・・・
揺られること 5時間 やっと試合の開催地 Latakiaへ到着した
到着するなり まとまりがなく 23時を回ってるって言うのに 食事をとらず水煙草を吸う人 おやつを食べる人 とにかく話す人 いろいろだ
私は朝と昼兼用のご飯を10時半ごろとったっきりだったので ものすごくお腹がすいていた
ご飯を食べに行くという話はいつの間にか無くなっていて 誰かが買ってきたアラビー料理を食べていると これから食べに行くという その時点でもうすでに12時 うそでしょ?と思うアラブ人の行動に それはでっかくなりますわと感心した
その後 水たばこの会に連れまわされ 気付けば朝3時半・・・
あぁ 明日の大会はどうなる事やらと 心配のまま床に就く Zzz
そんな夜に振りまされ 無事?朝が来た
試合当日なのに なぜか10時過ぎてもまだ宿舎にいる先生たち・・・汗
会場入りは11時ころ そして始まったのは・・・何時?って感じの なぁなぁな運営。。。
とりあえず 新体操との違いを見てください
まず 男子体操
次に女子体操競技
と言いたいところだけど・・・
ウチの子供たちのは VIDEO撮ってて 写真なし。。。
ごめんあぞばせ・・・
でも こんなんです↓
段違い平行棒
平均台
跳馬
床
以上 Netより
ちなみにタッチの南ちゃんがやっている
リボン ボール フープ ロープ こん棒などが
新体操と言います
私は新体操ではなく 器具を使うので 器械体操と言われている
正式名称が「体操競技」の先生になります
そして
結果は・・・
あっぱれ!
その日の夕方
私は帰るつもりだった
1泊2日だと聞いてきていたので 用意は念のため 1泊分多かったが
やっぱり 軍の施設 それほど綺麗なところではない
ずーっとアラビア語と アラブ人のシャワーを浴びていたので
そろそろ自宅でシャワーを浴びたかった
「ご飯を食べてから」という話にだまされ 待っているとやはり・・・
今日も泊るという流れになっていた
あぁ・・・やっぱりそうなのか 涙
綺麗な夕日だけが なあぐさめてくれているかのような そんな景色に癒され
私の心も まっぴんく
精神的にも疲れを感じていた時 Latakiaのコーチのお宅への訪問の話を聞いた
そしてご飯も到着し 平らげ 村へ出発!
着くと そこは田舎の平和な風景だった
寒い中 みんな外でアルギーレを吸い
シリア人特有の【ゆったりっとした時間」を楽しむ
Latakiaのコーチは 自ら動き
焚火ならぬ 窯のようなものを作る
その上に 下のでっかいお盆を載せ
こっちで人気のSweetsをっ作ってくれた
美味しく頂き 宿に戻った
ところが・・・
その2,3時間後
急に吐き気を催し 飛び起きる
そしてトイレに入り浸ること 数十分
具合は一向に悪くなるばかり
隣の部屋で寝ていた国内チャンピオンに
とり急ぎ助けを求める
精一杯伝えた言葉「病院に行きたい」
バスの中で寝ていた運転手さんを起こし
病院はあるか聞いてもらう
ところがそこでびっくりした事実が・・・
運転手さんもお腹を下していた?!
現地人もおかしくなる=これは肉+Sweetsの油が古かったことからの
いわゆる 食中毒状態だって・・・
病院は近くにないらしいので
とりあえず朝まで待って
それでも駄目であれば探すという方向になった
朝になり みんなに状態を伝え 一番後ろの席で寝かせてもらった
とにかく 起きていられない状態だったので
しばし死人の状態
胃の中には水しかなく 体力も落ち げっぞりした様子だったのか
DriveInnへ寄った際 コーチの一人が胃に良いんだと カモミールTeaを買ってくれた
下は DriveInnの中
日本とはちょっと違い
売っているものの半分は ご飯系(シャウルマとピザのみ)
半分は Syrian Sweets系だ
仲間になると 本当面倒見がよいシリア人
心づかいがありがたかった
ガソリンを入れて 車もお腹いっぱい
ちなみに 軽油は1L 40円ほど
やっぱガソリン原産地に近いだけあるのかな・・・
さぁ 帰り道もあと1時間 もう少しです
活動先に到着すると
すかさず家まで送ってくれた
家へ入るとそのままシャワーに入り
そして17時間 冬眠した
次の日 病院へ行き またしても潰瘍の薬をもらう
やっと前回の胃痛が良くなったと思ったのに・・・涙
要らないお土産もあったが
この土地の人の仲間意識や
やさしさも垣間見た出張
これからの活動がどういう風に変わっていくのか
とても楽しみになった 3日間だった
後の問題は・・・・
私のアラビア語のレベルだわ (>ー<)
Latakiaはシリアで唯一開放的な場所
ここへ バケーションを取りに 国内中からお金持ちが集まり そしてHotelのPrivate Beachなどで優雅な時間を過ごす場所
私はそんな夢のようなことを抱いていたが 現地は全くと言っていいほど びっくりな環境だった
私が泊まったのは 一般人は入れない 「軍の施設」
そう 周りには兵隊さんや 国で管轄されている関係者の家族などの団体しかいない
私はその中で 体操協会の団体に所属という位置づけで 泊まらせてもらえることになった
もちろん 宿泊から 食事 交通費に至るまで すべて体操協会持ち
無論 個人行動は許されない
まず 初日
いつもの子供たちへの指導を終え いったんウチに帰る
急いで用意し 今度はちゃんと器具のある体育館へ
そこで一番初めに 体操協会へ表敬訪問へ行った際にお会いした人々に再会した
正直ほとんどの方の名前は忘れていたが 一人だけ 私のカウンターパートという名の同僚になる予定だった女性は忘れていなかった
「Hi! Yummy!」と呼んでくれたので 私もとっさに「Saffa?!」と
すると 「Yes!!! It’s me!」と言ってくれた
これから2日間は 彼女と一緒だ
彼女は Safaaサッファア
さて 夕方になり ちょっと日が傾いたこと 選手の練習が終わった
それからバスに乗り込むのだが そこでびっくりが待ち構えていた
私たちJICAとほぼ同じ位置にある韓国のKOICAのバスで移動となった
なぜ韓国人ボランティアがいないのにKOICAのバスはあるのだろう???
バスはミニバスで 大体15人ほどが乗り込んだ
バスの中は 見事ゲーム会場となり いつも眉間にしわを寄せている先生が そこではカードゲームに大盛り上がり
負けるたびに「Yummy~~~!!! Help !!!」となんだかただの子供じゃないか?!と思う一面
なかなかうるさいが かわいい人たちだった
隣の席にはでっかいおじさん?お兄さん?が座った
はじめから質問攻めだったので ちょっと意地悪な答え方をしてみたり・・・
でも悪い人じゃなさそうだった
彼は英語を話せ 通訳もしてくれた
だから ちょっと心を開いて 長くなる旅を楽しもうと 途中から切り替えたのだが・・・
とにかくおっさん先生たちが うるさくってうるさくって。。。
その隣の人は 80年代にナショナルチームのメンバーで 私の名前を叫ぶ先生と一緒にソビエトまで遠征に行ったそうだ
まぁソビエトだった時って言うくらいだから 自分より十数年は年上の方
おじさんとも お兄さんとも言い難い・・・
Anyway 今では体操でそんなにすごい選手だったなど 見る影もなく大きくなっているが
今は ダマスカス空港で 飛行機の整備士をしているようだ
なかなかのお坊ちゃんみたいだ
この世界では いやどこの中進国・途上国もそうだと思うが 「蛙の子は蛙」だと本当に思うことが多い
もし私がこの国で生まれていたら 今頃ひょっとしたら若いおばあちゃんだったかもしれない年齢だ
先日会ったお母さん 私と同じ歳だった そしてもうすでにおばあちゃん
自分の娘が16歳で子供を産んでいて はやばやと孫まで授かっている
私は 日本に生まれ 好きなことができる「選べる人生」を授かった
しかし それは本当に幸せなことなのだろうかと 今は逆に思う
昔は日本人ほどいい人種はいないのではないかと思っていたが 今はそうは思わなくなったのは なぜだろうか・・・
バスの中は本当にいろいろな話もあり そしていろんな匂いもあった
お菓子を食べる人 バスに持ち込んであったポットの甘ぁい紅茶や カルダモン入りの苦ぁいコーヒーを飲む人 煙草を吸う人 etc 日本じゃ絶対吐く人がいるなと思いながら・・・
揺られること 5時間 やっと試合の開催地 Latakiaへ到着した
到着するなり まとまりがなく 23時を回ってるって言うのに 食事をとらず水煙草を吸う人 おやつを食べる人 とにかく話す人 いろいろだ
私は朝と昼兼用のご飯を10時半ごろとったっきりだったので ものすごくお腹がすいていた
ご飯を食べに行くという話はいつの間にか無くなっていて 誰かが買ってきたアラビー料理を食べていると これから食べに行くという その時点でもうすでに12時 うそでしょ?と思うアラブ人の行動に それはでっかくなりますわと感心した
その後 水たばこの会に連れまわされ 気付けば朝3時半・・・
あぁ 明日の大会はどうなる事やらと 心配のまま床に就く Zzz
そんな夜に振りまされ 無事?朝が来た
試合当日なのに なぜか10時過ぎてもまだ宿舎にいる先生たち・・・汗
会場入りは11時ころ そして始まったのは・・・何時?って感じの なぁなぁな運営。。。
とりあえず 新体操との違いを見てください
まず 男子体操
次に女子体操競技
と言いたいところだけど・・・
ウチの子供たちのは VIDEO撮ってて 写真なし。。。
ごめんあぞばせ・・・
でも こんなんです↓
段違い平行棒
平均台
跳馬
床
以上 Netより
ちなみにタッチの南ちゃんがやっている
リボン ボール フープ ロープ こん棒などが
新体操と言います
私は新体操ではなく 器具を使うので 器械体操と言われている
正式名称が「体操競技」の先生になります
そして
結果は・・・
あっぱれ!
その日の夕方
私は帰るつもりだった
1泊2日だと聞いてきていたので 用意は念のため 1泊分多かったが
やっぱり 軍の施設 それほど綺麗なところではない
ずーっとアラビア語と アラブ人のシャワーを浴びていたので
そろそろ自宅でシャワーを浴びたかった
「ご飯を食べてから」という話にだまされ 待っているとやはり・・・
今日も泊るという流れになっていた
あぁ・・・やっぱりそうなのか 涙
綺麗な夕日だけが なあぐさめてくれているかのような そんな景色に癒され
私の心も まっぴんく
精神的にも疲れを感じていた時 Latakiaのコーチのお宅への訪問の話を聞いた
そしてご飯も到着し 平らげ 村へ出発!
着くと そこは田舎の平和な風景だった
寒い中 みんな外でアルギーレを吸い
シリア人特有の【ゆったりっとした時間」を楽しむ
Latakiaのコーチは 自ら動き
焚火ならぬ 窯のようなものを作る
その上に 下のでっかいお盆を載せ
こっちで人気のSweetsをっ作ってくれた
美味しく頂き 宿に戻った
ところが・・・
その2,3時間後
急に吐き気を催し 飛び起きる
そしてトイレに入り浸ること 数十分
具合は一向に悪くなるばかり
隣の部屋で寝ていた国内チャンピオンに
とり急ぎ助けを求める
精一杯伝えた言葉「病院に行きたい」
バスの中で寝ていた運転手さんを起こし
病院はあるか聞いてもらう
ところがそこでびっくりした事実が・・・
運転手さんもお腹を下していた?!
現地人もおかしくなる=これは肉+Sweetsの油が古かったことからの
いわゆる 食中毒状態だって・・・
病院は近くにないらしいので
とりあえず朝まで待って
それでも駄目であれば探すという方向になった
朝になり みんなに状態を伝え 一番後ろの席で寝かせてもらった
とにかく 起きていられない状態だったので
しばし死人の状態
胃の中には水しかなく 体力も落ち げっぞりした様子だったのか
DriveInnへ寄った際 コーチの一人が胃に良いんだと カモミールTeaを買ってくれた
下は DriveInnの中
日本とはちょっと違い
売っているものの半分は ご飯系(シャウルマとピザのみ)
半分は Syrian Sweets系だ
仲間になると 本当面倒見がよいシリア人
心づかいがありがたかった
ガソリンを入れて 車もお腹いっぱい
ちなみに 軽油は1L 40円ほど
やっぱガソリン原産地に近いだけあるのかな・・・
さぁ 帰り道もあと1時間 もう少しです
活動先に到着すると
すかさず家まで送ってくれた
家へ入るとそのままシャワーに入り
そして17時間 冬眠した
次の日 病院へ行き またしても潰瘍の薬をもらう
やっと前回の胃痛が良くなったと思ったのに・・・涙
要らないお土産もあったが
この土地の人の仲間意識や
やさしさも垣間見た出張
これからの活動がどういう風に変わっていくのか
とても楽しみになった 3日間だった
後の問題は・・・・
私のアラビア語のレベルだわ (>ー<)
by angelyummy1
| 2010-04-22 17:07
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